知人がミシェル・ブラスさんのことを言うので思い出したのだけれど。
フランスのブラスさんのレストランに行ったのは
いつだったけか?と数えたら かれこれ、もう13−4年前のことになっていた。
月日が経つのは 本当に早い。
あの頃は みんな ミッシェル・ブラと呼んでいたのに
いつのまにか、ブラでなく、ブラスということになっている。
その時は 大森由紀子さんと行ったのだけれど
ライヨールの近くから タクシーを飛ばした。
時には100キロをさすスピードで 第3の男のラストシーンのような1本道を走った。
小1時間かかったような気がする。
すれ違う車は片手で数えるほど。同じ方向へと走る車もない。
えんえんと平野が続いていて ヒトも見かけない。
シートにもたれて 窓の外に流れる景色を見ながら
このまま、私たちが消えてしまっても 誰にも気づかれないんだろうなぁと
ぼんやり思ったのを覚えている。
こんなのどかな何もない土地のどこに、
世界の人々に注目されるレストランがあるのだろう?
というのが 不思議だった。
やがて日が暮れ、街灯もない辺りは真っ暗になり、
いよいよ怖さも不安もピークになろうか、という頃
運転手さんが “ヴォワァ〜〜ラッ!”と言って顎で軽く指し示した先には、
まるで宇宙ステーションのような建物が
やわらかい光でライトアップされていた。
その前に降り立った時の気分はまさに 未知との遭遇 という感じで
感動とコウフンで足ががくがくっとした感覚は 忘れられない。
何もない緑のゆるやかな岡の上に
すわん、と彼のレストランは佇んでいたのである。
中に一歩入るとそこは パリでもなかなか出会わないような
いっさいの余分のない 洗練されたモダンなレストランだった。
ここまで来る間ものどかな風景だったし、
数少ないけれど それまでの経験から
星付きと言えども地方のレストランだから、
ちょっと温かな雰囲気のお店なんだろう、と思い込んでいたので
別世界に ぽん、と放り込まれたような 狐につままれたような感じ。
初めて ティエッドという調理方法を知ったのもここでのことだ。
中心を生で仕上げて、お客様、あなたの前にお皿をおいた時に
その中心にほんのり熱が届くように 計算して火を入れるのです、
という説明は 今でも忘れないが
なんとなんとかっこいい調理法なんだろう!!と 感動した。
大興奮の私たちを ブラスさんは キッチンに呼んで下さった。
口々に かわるがわる感動を興奮しながら語る私たちと まったく対照的に
ブラスさんは静かに微笑み、ささやくような語り口で応えてくれた。
それまで会って来た はちきれそうな勢いの料理人とは全く違い、
なんか学者さんのような雰囲気で、料理人っていう感じがまるでしないけど
ほんとにこれがシェフ??と 思ったものである。(失礼な話ですが)
この日、ここに部屋がとれなかった私たちは 再び、ライヨール近くまで
タクシーで戻ることとなった。
1メートル先もわからないような真っ暗な外にでて、満天の星を見上げ
この何もないところで、これだけの調理法と材料を使って料理をだし、
洗練されたサービスを提供し、
そしてそこに まるで 厳かな気持ちでミサに向かうように
世界中から グルメをひたひたと呼び寄せる。
フランスというところは、なんてすごいところなんだろう、
とてつもなく すごいところなのだ、と思った。
ところで。
この夜、ブラスさんのところには
ミシェル・トロワグロさんもたまたまいらしていた。
ソファーに移って 食後酒を楽しんでいるほろ酔いの彼に
そっと声をかけたら 快く“はちきれそうな”笑顔で
握手と写真に応じてくださった。
そのことも、ブラスさんを思う時に 忘れられない出来事のひとつである。
(私たちが泊まらないでディナーだけのために訪れたことを知ると、
“きみたちはマニアックだ!”と とても驚かれた。)
時々、ブラスさんのレストランを 夢を見たような気持ちで思い出す。
帰りのタクシーの中で、ぐんぐんとレストランから遠のくにつれ、
感動でいっぱいだった心の中は、せつない気持ちにかわっていった。
あのレストランにまた、必ず来よう!という思いは
そこから離れて行くほど 揺らいでいく。
この遠い、遠いところまで また、来ることができるのだろうか・・・
振り返ってみても、窓の外は
自分がどのくらいブラスさんのレストランから離れてしまったのか、
本当に この先に あのレストランがあったのかさえ
まるでわからないほどの暗闇が続くばかりだったから。