青い空の下で
8月になると、やはり、
戦争でたくさんの命がなくなってしまったことを考える。
くやしかったろう、悲しかったろう。
それを思うと時々、震えるほどやるせない気持ちになる。
でも、こんな風になるなんて、若い頃の自分からしたら、
思いもしなかったこと。
もちろん、戦争のことを学んだ時には、
亡くなった方々やその遺族の気持ちを思って涙したけれど、
それとは違う。
そう思うようになったのは、たぶん、
私が、少なからず、人生の楽しみを味わえてきたからだと思う。
家族の優しさや、何でも無い毎日の中の笑い、
人と心が通い合った瞬間、
何も言わなくても気持ちをすくってくれる友人の存在、
思わず涙が出るほどの美しい絵画をじっと見つめられる喜び、
知らない国の街角でその美しさに、
電気が走ったかのような感動をおぼえること、
旬のおいしいものを味わうこと・・・。
人生の喜びは、日々のなんでもない時間の中にあって
それは薄い紙片のようではあるけれど
ふうわりふうわりと重なっていくものなのだとしみじみ思う。
重なっていくもの、でなく、重ねていくもの、か。
小さな紙片は 自分が大切と思って扱わなければ
すぐにどこかに紛れてなくなってしまうもの。
夏になるたび、
理不尽に命を奪われた人々のことを強く思うと、
日々、躍起になってつらつら文句を言っていることが
なんだかもう、どうでもいいことのようにさえ思えてくる。
もちろん、その中には、大事なこともあるのだけれど、
あの悲惨さに比べれば、と思ってしまうのだ。
あったものがあっさりとなくなってしまうこと。
私は、といえば。
去年、今年と、たて続いて
身近な大切な人がこの世からいなくなってしまった。
目の前で、命の灯火が少しずつ小さくなっていくのを
どうにもできず見ているしかない喉の奥がつまるような苦しさ。
一瞬でかき消されてしまうつらさ、
じわじわと迫って来る別れのつらさ、
悲しみのベクトルは違うけれど。
見送るもの、残されるもののつらさは、何度味わっても
慣れることはできない。
生きて死んでいくとはどういうことか。
抜けるような青空を見上げて考えます。

