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すぐそこに、楽しみがある。

新しい本が生まれでたところで、
次に撮影していただく別の本の打ち合わせが始まりました。

楽しい〜。
苦しい〜。
でも楽しい〜。

ところで、ふと。
未来、っていうのは、いったい、どれくらい先のことを言うのだろうか??
と、思いました。
自分で、ちょっと前のブログに、未来、と書いておいて、
ふと。

子供を見ていると、無条件に、
ああ、この子の未来はきらきら輝いているんだなぁ!と思ったりします。
でも、ある程度のオトナを見ると、
ああ、このヒトの未来は・・・・、とは思わないです。
それはもちろん、自分に対しても、です。
私の未来は・・・。とか、将来は・・・。とか、
そう言えばもう、そういう言葉ではモノゴトを思わないものなぁ。
じゃ、何と思うかといえば、いずれ、とか、そのうち、とか、
あと、近いうち、とかか・・・。
これはきっと、無意識に、なんでしょうね。
だって、遠いいずれ、って思ったところで、
その、遠いいずれに、自分はぴんぴんできているのか???(笑)。
これが、会社に勤めていたら、きっと、
綿々と続いていくであろう会社の将来や未来を語ることも
思うこともあると思いますが、
私にはそういう感覚はありません。

それに気付いて、でも、ガクゼンとするより先に、
ということは、
未来、というのは、他人のためにある言葉でもあるんだな、と
とっさに思ったのです。
他人、とか、もちろん子供のために、ある言葉なんだな〜。
それってすごくすてきじゃないか!と思ったのです。
当たり前のことだけれども、なんというか、感覚として初めて、
そして唐突に不意に、すとん!と腑に落ちたのですよ。

そして、その未来に、自分はいるのか、というと、
これもまた無意識に、納得している、というか、
自分のいない未来、なんですねー。
だから、自分のいない世界の誰かのための言葉。

未来、と思わず、少し遠いいずれ、という感覚とか、
未来は誰かのもの、ということについては、
いろいろと考えることがありますし、
ヒトぞれぞれ、いろんな考え方があろうかと思われます。
結論は出ないでしょう。
同じヒトでも、その時の立場や年齢、健康状態でも、捉え方は、
変わっていくものでしょうから。
でも、これについては時々、考えてみたいなぁ。

未来、未来、未来。
未来、という感覚。
不思議な感覚。

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